時は南北朝期の終わり頃、後醍醐天皇の皇子、護良親王の没後
上總へ逃れた護良親王の御息女である華藏姫が當地家之子にて落飾、
星莖尼(せいけいに)と号されました。
星莖尼は護良親王の菩提を弔う為に開基となり妙宣寺の前身、
禪宗尼寺として華藏山海岸寺を創建されました。
当時の通称は、禪宗尼御所であったといいます。
この後、東光院日顕上人により應永24年(1417)に日蓮宗に改めたと伝わります。
創建以来二度の火災に見舞われ、失われた物もありますが、
現在、庫裡の前に建っている四脚門は改修こそされているものの
唯一、当時の物であると伝わります。